はこどりの自由研究

冒険はいつもそばにある。

「育てやすい子」という呪い

子どもが産まれて2ヶ月たった。

 

結婚する前はどうしても20代のうちに出産したくて、ということは、それに間に合うように結婚したかった。結局出産したのは30歳ちょうどだったのだけど、それで良かったのだ。先に子どもを授かった友人からいろいろと話を聞けて、心構えができたというのもある。きっと20代なかばあたりで出産していたら、それこそ大変で、子どもに迷惑をかけたことだろう。

 

「妊娠中は早く産まれてこないかなって思うもんだけど、産まれたら大変だよー!」

とずっと言われていたんだけど、そうでもない。臨月は毎日おなかが痛くて近くのコンビニにすら出かける気にならなかったのが、今は子どもの顔色をうかがいながらあちこち行けるようになった。ミルクを夜中にあげるのもそもそも妊娠中は眠りが浅かったので、そこまで苦ではない。育休中なので昼寝し放題だし。起きているときはもちろん、寝ているときでさえくるくると変わる子どもの表情を見ているのは楽しい。

 

子どもは確かによく眠り、よくミルクを飲むので、それはありがたいことではあるのだ。でも、家族が、

「この子は育てやすい子だ。」

と言うので、なんだか嫌だなぁと思う。別の家族にそう言ったら、

「育てやすい子だってなんだって、大変なものは大変だよ。」

と言われて、違う違う、そういう意図じゃないんだと思ったけど、訂正するのも面倒でそのままにしてしまった。

 

私には弟がいるのだけど、同じく「弟がいる姉」の友人に「弟ずるいエピソード」を聞くと、たいていわんさかいろいろと出てくる。親から見れば平等のつもりでも、兄弟のうち上の子は下の子がいるせいで我慢を強いられたと感じることが多い。母親から見て娘は同性だから理解しやすいし理解しているつもりだから厳しい目で見るけれども、息子は理解しがたくて「男の子だからしょうがない」みたいな諦めもあったりする。それが合わさって「弟ずるい」になるようだ。

 

それで、「お姉ちゃんだから」と言われ続け、兄弟のうち「聞き分けの良いほう」として育った私だったが、それによって得をしたと感じることはあまりない。実家の居心地が悪かったのだ。家出同然に実家を出て「自由だ!」と思い、帰省すら面倒に思い、今回の出産でも里帰りしなかった。

 

「育てやすい子」「良い子」

と規定することが、本人を居づらくしやしないか。しかも、子どもは第一子で、もし、もう一人産まれたら「上の子」であることを強いられる。いつかは当たり前に家を出てほしいけれども、そのときに、「育てやすい子」「良い子」として抑圧された結果、関係が悪かったら悲しすぎる。

 

どうか、どうか、わがままに育ってほしい。

どうせ自分を愛せなければ、他人を愛せないのだから、他人への配慮を身につけるのなんか、後回しで良いのだ。

 

そんなことをぼんやりと考えている。